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FRISBEE スピリット


 表紙の顔は外国人ですが、イラストのモデルは監督です(笑) 

 僕が他の野球チームの監督と少し違うのは、元々の性格に加えて、フリスビーの経験が大きいと思う。大学時代、人気雑誌《ポパイ》で連載コラムを書かせてもらっていた僕は世間から「フリスビーの小林クン」と呼ばれていた。

 フリスビーにのめりこんだのは、放物線が当たり前のボールと違って、まるでUFOのように、地面すれすれから浮かび上がり、どこまでも飛んでいきそうなフリスビーの浮遊感に魅せられたからだ。

 高校時代、憧れて入部した野球部は想像とまったく違う側面を持っていた。厳しさは覚悟していた。だが、実際に苦しめられたのは、練習量や体力的な厳しさでなく、「心の自由」を奪われる辛さ、自由な時間がほとんどない日常生活だった。

 自宅に戻って夕飯を食べ、自主トレのランニングに出かけ、お風呂に入り、疲れて眠る毎日。練習が始まれば、心の自由は抑えつけられた。僕が野球を好きなのは、自分の中でインナーゲームを楽しむことだったと気づかされた。鬼と呼ばれた監督は、そんな楽しみを解さない、僕が好きな野球と、監督が強いる野球には大きな開きがあった。それでも従順な僕はもちろん監督に従ったし、監督に評価されたいと必死に願った。いま思えば悲しいくらいの献身。そのため、苦しみは募るばかりだった。

 高校を卒業し、なぜ高校野球は好きな野球が嫌いになるような封建的な体質なのか? もっと科学的な指導ができないのか? 素朴な疑問がふくらんだ。スポーツライターの道に自然と踏み込んだのは、その答えを見つけたかったからだろう。  大学二年の春、出会ったのがフリスビーだった。まだ日本に選手がほとんどいない時代、フリスビーに熱中した僕はすぐ日本で一、二を争うプレーヤーになった。日本代表に選ばれ、両国・日大講堂で開かれた「日米フリスビー・チャンピオンシップ」に出場した。その模様は夜、NHKスポーツニュースで放送された。そこで出会ったアメリカ選手たちを頼って、翌春カリフォルニアに渡った。約1ヵ月、チャンピオンたちの家を転々と訪ね、フリスビーの技術だけでなく、彼らのライフスタイルや人生観に触れた。 「イッツ・フォー・ファン!」(楽しむためにやっているんだ!)  彼らの練習には、根性はかけらもなかった。練習という概念もない。プレー! いい意味の遊びそのもの。だけど僕にはとても着いていけないハードワーク。1時間でも2時間でも、アメリカのプレーヤーたちは走り続け、円盤と戯れ追い続ける。そのエネルギーは“根性”でなく「好きだ」という気持ち、「もっと楽しみたい!」という情熱。僕は激しい衝撃を受けた。  世界チャンピオンたちは、惜しげも無く自分のテクニックを、日本から一人でやってきた僕に教えてくれた。手取り足取り。そこには、ぎすぎすした競争の息苦しさはなく、ライバルもみな仲間だという大らかで幸せな空気があふれていた。  そのような経験を日本の野球でする機会はいまも少ない。僕は青春時代、フリスビーで味わった衝撃をその後の人生の糧にしている。だから他の野球の監督とはちょっと違うのかもしれない。相手の素晴らしいプレーに感動する、野球が好きなら当たり前の気持ちだ。ナイスプレー! 思わず声が出て、拍手を贈る。それは優等生的な振る舞いでなく、ごく自然な感覚。

監督もこのDVDに少し登場します。


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